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私は別にそれがどんなものかは聞きはしなかった。彼女の言葉に同感の意を表して、やはり自分のあれは本当なんだなと思ったのである。ときどき私はその「牢門」から溪へ出て見ることがあった。轟々たる瀬のたぎりは白蛇の尾を引いて川下の闇へ消えていた。向こう岸には闇よりも濃い樹の闇、山の闇がもくもくと空へ押しのぼっていた。そのなかで一本椋むくの樹の幹だけがほの白く闇のなかから浮かんで見えるのであった。
もつと別なものが、医者以上の或る者が必要だつた。房一は全身でそれを感じていた。たとへ彼が自分を高く持していたところで、河原町の人は彼を高間道平の息子としてより以上にはあまり見ていないことは、房一にはよく判つていた。彼には免状もあるし、開業するのを誰もとめ立てすることはできなかつた。それだけの話だつた。それは町の人達がこれまで抱いて来た「お医者」の観念とはまるきり別だつた。だから、彼等はいまだに房一が往診鞄などを提げて歩いているのにぶつかると、何となく半信半疑な面持を、時には曖昧なうすら笑ひを浮べたりする。
正文はその傍に近づきながら、他の用事で来たついでのやうに云つた。
「や、さうですか。僕も今そこから帰るところです」
次に記すのは、ほんとうの怪談らしい話である。
「ふん」
房一は慌てて、診察にかゝつた。その後で彼は云つた。
第四章
「お忘れかもしれませんが、高間道平の息子でございます。――今度、医者としてこの町へ戻りました者で――」
一わたり済むと、練吉は最後にもう一度注意深く病人の顔をぢつと眺め、
やゝあつて徳次が訊いた。
とてもそんなことは!といふ風に房一は答へた。
「ふうん。ひどい奴だねえ」